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トップ  >  2017「ごはん・お米とわたし」作文図画コンクール 「祖父と田んぼの歴史」
 

祖父と田んぼの歴史

南有馬中学校 二年 竹馬 柊太郎

 
「え?どうして?」
 僕は驚いて、母に向かって言った。
 去年の春の話しだ。
「じいちゃん、今年で、田んぼ辞めるとよ。」
 その時、僕は本当に驚いたと同時に、とてもショックだった。
 小さい時から、春にはじゃがいも掘り、秋には稲刈りを手伝う事が当たり前のようになっていて、これからもずっと続くと思っていたからだ。
 僕の祖父は、とても若い。どんなくねくねした細い道でも、軽トラックでスイスイ、バックで運転したり、機械の扱いも上手で、田んぼを速足で歩く姿はカッコ良く、とても八十代には思えない。
 そんな祖父が、どうして辞めるのか、僕は本当にわからなかった。
「苗床がね、上手く出来んやった。それに、田んぼはキツイしね。」
 と祖父は言った。祖父母が二人で真剣に考えて、決めた事だったのだ。
 僕は祖父から色々な話を聞いた。
 祖父が初めて田んぼに行ったのは、5歳の時。おなかが空いて泣く妹をおぶって、何キロものデコボコの道を歩いて、曽祖母の居る田んぼへ行った。小学校に入ると、田畑の手伝いをするのは当たり前。忙しい日には、よく学校を休んで、農作業を手伝った。当時は、機械はなく、鍬や鎌などを使い、全て手作業で行っていたそうだ。
 二十代の頃は、午前四時、牛を引いて家を出て、空が明るくなった頃、田んぼに着き、牛で田んぼを耕やしていた。僕の母も小さい時、田植え網という目印の付いた縄を引っ張って、手で植えた事を覚えているらしい。
 現在、田植機や稲刈り機など、様々な農機具が普及している。牛で田を耕やすなんて、まるで、本や映画のあらすじを聞いているようだった。
 祖父の話を聞きながら、僕はある事に気が付いた。それは、僕が生まれるずっと前から、この田んぼが存在していたという事だ。百年以上前の僕の先祖の人は、もしかすると、何もない場所から、木を切り、荒れた土地を耕して、田んぼを作ったかもしれない。田んぼが出来てから、今までどれだけ多くの人が働いてきたのだろうか。そう考えると、僕は胸が熱くなった。このまま辞めていいのだろうかとモヤモヤした気持になった。
 去年の最後の稲刈りの日、僕達家族は皆、一生懸命頑張った。祖父が機械で稲を刈り、僕、妹、祖母が、それを成木まで運ぶ。そして父と母で、稲を成木に掛ける。
 祖父の田んぼは、白木野の高い場所にあり、とても見晴しがよい。父は、この田んぼからの景色がとても好きだと言う。何枚も写真を撮りながら、
「都会の子供達に見せてやりたいな。」
と言った。僕もそう思う。僕も沢山の人にこの景色を見て欲しいと思う。そんな時、母が、
「柊が先生になったら、ここで子供達と田植えや稲刈りをしたらいいね。」
と、笑って言った。続いて父が、
「それまで、お父さんも田んぼの事、勉強するよ。」
と言った。そうか、今年で稲刈りは終わりじゃないんだと思うと、少し心が軽くなった。
 僕は、次の稲刈りまで、ちゃんと覚えておこうと思った。稲刈りの楽しさ、きつさ、稲のにおい、風のにおいや田んぼの景色。稲のチクチクした感触。全部、忘れてはいけない。
 またいつか、この場所で、大好きな稲刈りをするまで。
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